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『Ego Is The Enemy』を読んで(感想、書評、要約)

 

今回は『EGO IS THE ENEMY』の書評をお送りします。感想、思ったことが中身です。要約と呼べるほどにかいつまんではいませんので、分量はそれなりになっています。

 

序文/導入

 

序盤は、自らの振り返りから。どんな生い立ちなのか。そもそも、自分がどんな立場でエゴについて語っているのか。

 

For I have experienced ego at each of its stages in my short life: Aspiration. Success. Failure.

 

話はメンターについての言及になります。

 

Mentors vied for my attention, groomed me as their protégé. Seen as going places, I was the kid. Success came quickly.

 

ちなみにメンターについて調べてみたところ、Robert Greeneという作家だと思われます。戦略などについての指南を受けたようです。

 

Wikipediaにある本の説明を引用すると以下の通り。

 

The idea behind Greene’s first book is that power is amoral, i.e. it is neither good or evil. *The 48 Laws of Power,* highlights how we conceptualize power, and therefore how we behave in different hierarchical institutions

 

本題に戻ると以下のように進みます。

 

「物語」の類はかっこよくなるものだが、実際には、語られていない、苦難や話したくないことがあったりする。

 

そして、この話。

 

A public evisceration by someone I looked up to, which so crushed me at the time that I was later taken to the emergency room.

 

尊敬していた人からのある種の裏切り。

 

そのまま話は進んで、歴史的エゴをうまく乗りこなしてきた人と、逆にエゴに食べられた人を例を挙げて紹介していきます。

 

さらに、洞察としてこんな一節があります。

 

We intuit a casual relationship that isn’t there…

 

エゴが「成功のもと」でもあるかのように勘違いしている人が多いということ。これには激しく同感です。

 

確かに強欲で我の強い人が成功しているのだとする論は、一定数の支持者を獲得しているかもしれません。中にはある程度のところまでは力づくで到達できることがあるでしょう。しかし、その基盤は非常に脆く、非常に崩れやすいものです。

 

…we must act and live small in order to accomplish.

 

これもまた目から鱗の一言です。欧米圏(と一概に括るのもよくないですが)では特に「夢をビッグに描き、大胆に振る舞え」のような考えが支持されがちです。しかし、それとは反対のベクトルを示唆するような表現となっています。確かに、自分としても、ビッグという部分に囚われてしまうのは、かなり危険なアプローチだと思います。

 

しばしば、ビッグマウスが成功の秘訣だと言われることもありますが、それを諭す言葉も語られています。例えば以下の通りです。

 

It’s a temptation that exists for everyone – for talk and hype to replace action. P.24

 

特に一節には「TALK, TALK, TALK」という題名が付されていますが、非常によく言ったものだと思います。インフルエンサーなどと呼ばれる人が現れるようになったり、フォロワーが何人かどうかが、重要視される時代になりました。

 

怖いのは表層的にだけやっていても、そんな世界ではある程度の人気が獲得できてしまうことです。その連鎖から、それが正解なのだと、勘違いしてしまうのは、なかなか恐ろしいものです。うわべだけの票集めに走らないようにするには、内側に確固たる指針を持つ意外、道はないのかもしれません。

 

この、一種の芯を捉える話は、続いての「TO BE OR TO DO」というセクションにも続きます。ここでは、何になるかよりも、何をするかの重要性が説明されています。何になるかは、表層的な人気や注目集めに収束しがち。一方で、何をするかは、日々の細かな行為の質に焦点を当てたものです。

 

ここで特に気になる一節がこちら。

 

Impressing people is utterly different from being truly impressive.

 

つまり、人にどう見られるか、人に褒めてもらうために何をするか…ではなくて、内側に揺るぎない価値を持てということだと、私は解釈しています。

 

ある意味で、意識の対象を外側からずっと自分の方に引っ張ってきて、できるだけ身体の中心に近づけていくような作業ではないでしょうか。

 

どのような美徳を持つか。どんな価値感を持つか。そして、どれだけ、それに照らし合わせて恥ずかしくない行動をしていくことができるか。周りがどうこうとか、誰にどう思われるとかを気にすることの一切ない生き方です。

 

上司にどう思われるか、クライアントにどんな印象を与えるか、クラスメードにどんな目で見られるか。そんな悩みの向こう側へ行くということです。

 

続いて、「BECOME A STUDENT」のセクションに進みます。ここでの肝は、常に学び側の立場でいるということ。

 

この本に書いてあることではありませんが、このあたりを読んでいると、ふと思うことがありました。最も優れた学習者とは誰でしょうか。私は赤ん坊だと思います。全てを吸収してやるんだという、危機管理能力とも本能とも言えるでしょう。

 

それを私たち大人が真似できたら最高ではないでしょうか。多くの争いが「自分が正しいのだ」という勘違いから起こります。時には「自分が正しいと思いたい」というこじつけが問題の原因になります。むしろ、議論や言い合いをする中でふと「自分が間違っているかも」という不安が頭をよぎることは、誰もが経験したことがあるはずです。

 

それでも、私たちは「間違いを認めるのが怖いから」かたくなに一つの考えに固執するのです。それとは反対側にある態度が、学ぶこと。学習者であり続けるとは、きっと、自分には至らないところがあるから、学ばせてもらうという謙虚さにつながることでしょう。

 

そして、次に情熱について。次のセクションの名前は「DON’T BE PASSIONATE」です。「情熱的になるな」という意味ですが、これの何がいけないでしょうか?情熱を傾け事にあたるのは、素晴らしいことのように思えます。むしろ、情熱が無ければ、無味乾燥な人生になってしまうのではないか、とすら思えるかもしれません。

 

しかしここで言われているのは、もっと深いことです。情熱的であることの意味について、非常に考えさせられます。英語で「passionate」という形容詞を使うと、その後には通常「about…」と続きます。つまり、何かについて/対して情熱的であるということです。

 

そして、情熱的である(passionate about…)ことの問題として、「I」に意識が向けられていると説明が続きます。つまり「I’m passionate about…」という文章は「私は…に情熱的である」という意味になり、常に「私」が強く意識されるということです。

 

著者はこれを理想とはしていません。逆に、「purpose」という概念を提案しています。

 

これは英語で言えば「I must do…」です。

 

もちろん主語として「I」が入っていますが、文章の意味することろ、つまり主眼となるのは「何をするか」です。これについての次の文章が、的を射たものになっています。

 

Purpose is about pursuing something outside yourself as opposed to pleasuring yourself.

 

目的とは、ただ自分を喜ばせることとは反対に、自分の外側にあるものを追い求めること。

 

次に、「FOLLOW THE CANVAS STRATEGY」というセクションに進みます。ここでは、興味深いことに、日本人の文化や精神性に近いものを感じます。以下の文章をご覧ください。

 

Find canvases for other people to paint on.

 

他の人に描いてもらうためのキャンバスを探すこと。

 

他の人が絵を描くことができるように、キャンバスを見出すということです。自分ではなく、他の人による作品づくりを支援しなさいというメッセージです。

 

もちろん、絵画でなければならないという話ではなく、どんな業界でも、どんな生き方にも言えることです。大事なのは、他人の成功を支援すること。自分が何としても成功するのだという、 自分勝手な考えとは対極をなす考えです。

 

時に、他の人の成功や成果だけを考えて行動するのは簡単ではありません。例えば職場で、自分が素晴らしいアイデアを出したとして(自分のアイデアが採用されたとして)も、それを自分のものにせずに、あえて「〇〇さんのおかげで」と言うということ。

 

これを意識している人は、日本では割りと多いかもしれません。でしゃばらない、まわりのおかげ、謙虚といった態度は、日本では広く美徳して見られているので、珍しいことではありません。しかし、このように、あくまでも他者のために、周りの人を立てることを考えて全力を尽くすことの美しさをあらためて文章で目にすると、もっと頑張らなければという気持ちになるものです。

 

「GET OUT OF YOUR HEAD」

 

続いては、「GET OUT OF YOUR HEAD」というセクションについて。

 

ここで特に大事だと私が思うのは、次の一節です。セクションの中でも最後に出てくる文章をご紹介します。

 

There’s no one to perform for. There is just work to be done and lessons to be learned, in all that is around us.

 

誰のために演技をするわけでもない。周囲のすべてのものに、やるべき仕事と学ぶべき教訓があるだけだ。

 

つまりは、誰かのために演じたり見せつけたりするのではなく、ただ目の前の仕事をこなすことが大事、ということです。

 

これは特に、これからの時代に大事になってくる考えではないでしょうか。というのも、見せ方を意識することが非常に多くなる時代です。ソーシャルメディアで誰もが発信する側になることができます。もちろん、今までも、発信する側になるという選択肢は至るところにありましたが、最近では、むしろ、それを意識しなくとも、知らぬ間に発信しているということが増えたように思えます。

 

意識の違いとも言えるかもしれません。「自分が何も発信しないから、人ごとなのだ」とは言いづらい世の中であり、この傾向はもっと加速することでしょう。

 

そして、もう一つキーワードとなるのがストーリーです。ビジネスについて勉強をしたことがある人なら、きっとどこかで「物語を紡ぐ」ことの重要性を耳にしたことがあるはずです。これ自体は、大事な概念だと思います。というのも、人は、無味乾燥な物質ではなく、それに付与された印象や雰囲気に共感する生き物であるからです。

 

これをうまく利用して、人の心に訴えかけてものを販売しよう、という考え方がマーケティングの業界では、ある種の常識のようなものになっています。これ自体は理に適ったことで、私も賛同します。

 

しかし、これを小手先の知識として前面に押し出していくことには危険が伴います。見せかけだけに陥る可能性が拭いきれません。SNSに投稿した写真に多くの高評価やコメントが欲しい、と思う気持ちはよくわかりますし自然なことです。しかし、これがゴールになってしまうことには、懸念が残ります。

 

同じセクション内を少し戻ると、こんな文章があります。

 

All of us are susceptible to these obsessions of the mind. – whether we run a technology startup or are working our way up the ranks of the corporate hierarchy.

 

私たちは皆、このような心の強迫観念の影響を受けやすいものです。技術系スタートアップの経営者であろうと、企業の出世街道を歩んでいる人であろうと。

 

私たちは皆、このような心の強迫観念の影響を受けやすいのです。- 技術系スタートアップの経営者であろうと、企業のヒエラルキーで出世街道を歩んでいる人であろうと。

 

想像力は重要ですが、これが現実から離れすぎると、そして、独りよがりなものになると、多くの場合、それは生きづらい未来へとつながります。

 

「THE DANGER OF EARLY PRIDE」

 

今度は、「THE DANGER OF EARLY PRIDE」というセクションです。

 

出だしから、なるほどと考えさせれる一節が目を引きます。

 

A proud man is aways looking down on things and people; and, of course, as longs as you are looking down, you cannot see something that is above you.

 

プライドの高い人は、常に物や人を見下している。もちろん、下を向いている限り、上にあるものを見ることはできない。

 

非常に耳の痛い思いをするものです。とても響きます。

 

日本にも、実るほど頭を垂れる稲穂かなという言葉があります。成長するほど、学ぶほど、さらに言えば、社会的な地位が高くなるほど、頭を下げる謙虚な姿勢が必要だということです。

 

たしかに下を向いているのは、楽なものです。優位に立った気分になれるでしょう。まさに、井の中の蛙。井戸の中でふんぞり返っているだけでは、そこから一歩たりとも先に進むことはできません。

 

往々にして、そのような場所にとどまる人ほど、一歩外に出たら自分が通用しないことをわかっているものです。それを恐怖しているからこそ、挑戦しない。そして、そんな恐怖心を知られたくないから、さらに強い態度に出る。大変な悪循環です。

 

私の個人的な考えですが、自分の弱さを曝け出せる人からこそ、本当の意味での強さを感じます。柔軟でぐにゃぐにゃである方が折れないものです。鉄であっても、一定の負荷をかけてしまえば、ぽきりと折れます。

 

自分は、柔軟で、弱さをさらけだしながら、井戸の外に出て、周りの皆からもっと多くを学び続けたいと切に思っています。

 

その後、チンギスハンの言葉が引用されています。

 

… pride would be harder to subdue than a wild lion.

 

プライドは、野生のライオンよりも、抑えるのが難しい。

 

きれいな翻訳にしようとすると、日本語にこんな言い方があります。

 

驕る平家は久しからず。

 

結局のところ、一番手強い敵は自分自身なのかもしれません。

 

「WORK, WORK, WORK」

 

続いてのセクションは、「WORK, WORK, WORK」と題されています。

 

ここでのメッセージを理解するために、こんな点から考えてみてはいかがでしょうか。アイデアです。こんな人に出会ったことはないでしょうか。

 

「アイデアはあるんだよ。革命的なやつでさ、世界を変える大発明になるかもな。あとはこれを実践するのみさ」

 

こんな思考を持っている人はたくさんいます。もしかしたら、私もその一人かもしれません。最近ではようやくこの部分を理解し始めていますが、まだまだ意識しないといけないと、日々痛感しています。

 

アイデアだけある。でも何もしていない。多くの人が「そんな経験あったかも」と思うことかもしれません。結論から言ってしまえば、アイデアがどれだけあっても何もしなければ、それはゼロと同じこと。それこそが、このセクションの論点です。

 

「〇〇があればいいのにな。〇〇をすれば」というようにアイデアを口にするだけなら誰でも言えます。それを発表したり、自慢したり、さも自分が「クリエイティブ」かのようにおしゃべりすることで、人はいい気分になってしまうものです。

 

話し相手に「おお、そのアイデア、いいかも」とお世辞を言ってもらったら、さらに状況は厄介なものになります。何もしていないのに、達成感のようなものを抱いてしまいます。

 

ヘンリー・フォードのこんな言葉が紹介されています。

 

You can’t build a reputation on what you’re going to do.

 

何をこれからやろうとするかで、名声を手にすることはできない。

 

どれだけ未来のことを語っても、それは机上の空論ということです。ビッグマウスという言葉があり、これを効果的に使うことは確かにできます。マイクタイソンがビッグマウスであった(そしてそれをうまくスポーツに生かした)ことは有名な話ですが、口だけでは何にもなりません。

 

前に出てきたSNSの話とも深く関係していると思います。誰もが、なんでも口にできる(大勢に対してそのメッセージを発信できる)時代になりましたし、この傾向は今後も加速していくことでしょう。偉そうに「〇〇をすればいいんだ、すべきだ、してみせる」と言うことは、誰でもできます。

 

だからこそ余計に、そこに「行動が伴うかどうか」が重要視される世の中になっていくのではないでしょうか。もちろん、これは歴史を遡っても明らかなことです。口であれこれ言うだけの人は信頼を失います。

 

また本書では、ベン・ホロウィッツ氏のこんな言葉も紹介されています。

 

The hard thing isn’t dreaming big. The hard things is waking up in the middle of night in a cold sweat when the dream turns into a nightmare.

 

難しいのは、大きな夢を見ることではない。難しいのは、夢が悪夢に変わり、夜中に冷や汗をかきながら目覚めることだ。

 

確かに「大きな夢を描く」ことは重要です。しかし、それは始まりにすぎません。ここではビジネスを経営する人の苦難という文脈で、この点が説明されています。煌びやかな生活が待っているわけでなく、むしろ、もっと泥臭い、気持ちが滅入るようなことが、次々に起こるわけです。そんな中でも、もがいて、それでも現実から目を逸らさず生きていく。そんな、行動こそが、人を目標へと近づけていく。

 

このあたりを読んでいて、どうしても想起せずにいられないのが、例えば、引き寄せの法則などと呼ばれるものです。簡単に言えば、思考を現実化するというもので、考えれば、それは現実になるという信条がその根幹にあります。私としてはこれを、「うまく使う限り」便利な考え方だと考えています。

 

しかし一方で、これにすがりすぎる危険性も感じています。捉え方を間違えると「願ってさえいれば、なんでもうまくいく」という方向性に考えが変わる可能性があります。それこそ「願いしかしない」生活です。そこに行動はありません。私の思うに、先のような法則は、自分を信じるという意味で非常に有用です。しかしながら、あくまでも、行動に移すためのツールとして活用することに意味があるのではないでしょうか。

 

少し話が逸れましたが「思考」や「願い」に傾きすぎている─特に、それを理由に行動することを避け、それに対する言い訳をうまく作り上げている─状況にある人にとっては、軌道修正のための良き情報かもしれません。

 

「SUCCESS」

 

そして、今度は「SUCCESS」という名前のセクションに進みます。ある人物の例が語られます。ハワード・ヒューズという人です。

 

彼は、典型的な「御曹司」です。Wikipediaの説明では、「地球上の富の半分を持つ男」と評されたとのことです。そんな大金持ちな彼から、私たちは多くのことが学べます。

 

ビジネスの才能はあったとされています。しかし、その結果は素晴らしいものとは言えません。エゴに勝つことができなかった(または、それをコントロールすることができなかった)例として、勉強になります。

 

本書の中では、「possibly one of the worst businessmen of the twentieth century」(おそらく20世紀最悪のビジネスマンの一人)とされています。

 

通常であればビジネスに失敗すれば、表舞台から姿を消すことになるはずです。しかし彼は違います。父の会社の成功の恩恵を受けることで(失敗を繰り返しながらも)いつまでも「沈まなかった」という点が注目に値します。失敗しても沈まない、という稀有な例です。もちろん最後には破綻しますが。

 

泳ぎ方がひどいものの、浮き輪をつけてもらっているせいで、溺れることなく、ただ不恰好な泳ぎ方で進み続ける、といった具合です。

 

「そんな泳ぎ方はやめましょう」という参考として、ある意味で素晴らしい例なのかもしれません。

 

先にも触れたように、ビジネスの才覚がなかったわけではなく、ある意味での能力はあったようです。まるで、2つの相反する人格を持っているかのごとく。一方ではあくせく働き、事業の成長に尽力。一方では、その名声やイメージ、健全性を蝕む行為に没頭。

 

エゴにより、彼は才能を(才能と呼べるようなもの、それにつながる原石としての資質はあったようです)を浪費してしまったということです。

 

ある程度のところまで上昇する(または有名になる)ために、エゴに似た、少しだけかたちの違うもの(情熱、出世欲、目立ちたいという思い、のしあがりたいという気持ち)が一種の燃料になることがあります。私個人の考えでは、これらは、自分本位のものであるとき、全く歓迎すべきものではありません。なぜなら、ある程度のところまでは「原動力」であるかのように、擬態してみせるのですが、突如として、おさえきれないエゴに姿を変えます。そして、人を内側から壊していくものです。

 

今回の例として登場したハワード・ヒューズという人から、これが見て取れます。内からの破壊です。どのような組織も内から瓦解すると言われるものですが、人間個人も同じだと思います。

 

特に厄介なのは、今まで「原動力」として、少なくとも短期的には機能してきた信念が、途中から本性を表すことです。「今まで、これを信じてきたおかげで、ここまでのしあがってこれたのだ」と考えると、すぐに、その信条を捨てることは簡単ではないでしょう。自分が同じ状況なら、苦悩すると思います。

 

そして、エゴに姿を変えた瞬間、以下のような思い上がりに苦しめられることになります。

 

I’m special. I’m better. The rules don’t apply to me.

 

私は特別だ。私は優れている。世間一般のルールは私に当てはまらない。

 

「ALWAYS STAY A STUDENT」

 

次のセクションは、「ALWAYS STAY A STUDENT」です。

 

先に「BECOME A STUDENT」のセクションがありましたが、今回は「ALWAYS STAY A STUDENT」です。学ぶ者であり続けよという意味になります。

 

ここでもチンギスハンが例に出されます。この人の強さの秘密は、学び続ける姿勢とのこと。

 

こんな一節があります。

 

Genghis Khan was not born a genius. Instead, as one biographer put it, his was ‘a persistent cycle of pragmatic learning, experimental adaption and constant revision driven by his uniquely disciplined and focused will.

 

チンギス・ハンは生まれつきの天才ではなかった。むしろ、ある伝記作家が言うように、「彼独特の規律正しさ、集中力に支えられや意志の強さによって、実用的な学習、実験的な適応、絶え間ない修正を絶えず繰り返す者」であった。

 

そうです。この人のすごさは、生まれつきの才能の類いではありません。絶えず、学ぶことをやめなかったことが、その実績を支えています。

 

ある程度の地位に就くと、多くの人が、ある罠に陥ります。そこにたどり着くまでに達成したこと(と言っても、人の助けがあってこそ成し遂げられるはずなのですが)に目を向けて─例えばトロフィーなどを眺めることでご満悦になり─それ以上の成長に精を出さないものです。

 

しかし彼は違いました。実地的な試行錯誤を繰り返し、そこから学び、成長を続けたのです。

 

この姿勢は私たち皆に、そのまま適用できるものですが、特に人を率いる立場にある人にとっては、願ってもない金言となることでしょう。

 

組織のトップにあっても、そこであぐらをかくのではなく、常に周りから学び続ける。これを実践するのは簡単ではありません。時に「自分の無知をさらす」ことになるでしょう。それでも、歩み続けることのできる人こそ、本当の強さを持った人物なのではないでしょうか。

 

もう少し厳しい言い方もされています。

 

If you’re not still learning, you’re already dying.

 

学びを続けていないのであれば、あなたはもう死んでいる。

 

学びをやめた人は、死ぬということです。まさに「お前はもう、死んでいる」という宣告と捉えるべきでしょう。

 

逆を言えば、学び続け、自省を怠らず、自分の成長に励むかぎり、何歳になっても「積極的に生きる」ことができるということです。

 

日本には、自己主張が得意でない人が多いとよく言われます。輪(または和)を重視する民族性を考えれば、自然なことです。それに対するあらたなアプローチとして(より欧米的な)アサーティブな主張ができる人が、注目を集める傾向を感じます。

 

この流れは今後も加速していくのではないでしょうか。主張をする事に対し、私は何も意見はありません。うまく主張できることは、大きな強みです。

 

それに付随して「自分はこんなことができるのだ」、「自分にはこんな実績があるのだ」という主張をすることが、より一般的になることでしょう。これについては、賢い関わり方が欠かせないと思います。主張をしながらも、自分自身がつくりあげた「すごい自分」に踊らされないように、自分自身が気を引き締めることが重要です。

 

これに関しては、次のセクションで面白い洞察が得られますので、先に進みましょう。

 

「DON’T TELL YOURSELF A STORY」

 

続いてのセクションが「DON’T TELL YOURSELF A STORY」です。勘の良い方は、すでにこれの言わんとする部分を察しているかもしれません。

 

物語はたしかに、人に訴えかける上では効果的なものです。良き小説には、良き物語があるもの。人がのめり込む魅力が、そこにはあります。

 

しかし、これを紡ぐことを全てにしてしまうことには、多少なりとも危険が伴います。特に危ないのは、物語として自らを美化する行為です。自叙伝を書いたり、銅像を建てさせたり…自分の存在をしらしめるために、人間はあらゆることをするものです。特に、ある程度の地位や財産のある人が、それに全力を傾ける傾向にあります。

 

面白い一節をご紹介します。

 

Jeff Bezos, the founder of Amazon, has talked about this temptation. He reminds himself that there was “no aha moment” for his billion-dollar behemoth, no matter what he might read in his own press clippings… Reducing it to a narrative retroactively creates a clarity that never was and never will be there.

 

アマゾンの創業者であるジェフ・ベゾスは、この誘惑について話している。ベゾスは、10億ドル規模の巨大企業(Amazon)の「ハッとするような瞬間はなかった」と自戒しています。それを物語に還元すると、決してなかったし、これからもないはずのものを遡及的に作り出すことになる。

 

ある意味で、物語にのめり込みすぎることは、事実の曲解や虚言を生み出す可能性を孕んでいると言えるでしょう。

 

往々にして、私たちは、完璧なサクセスストーリーを求めるものです。いわゆる「成功している」と言われている人には、その偉業に到達するための、ドラマティックな旅路が「あったはずだ」と。しかし、蓋を開けてみると、こまめな作業の繰り返しだったりします。

 

それを映画にすると、例えば、机に向かって頭をかりかりとかくシーンが2時間延々と続いたり…どうも、劇的とは言えません。しかし、それが現実です。これから、何か大きなことに挑戦したい、という人にとっては特に大事な知識です。

 

何に挑戦するにしても、ドラマや漫画のような、ドキドキワクワク&アドレナリン100%な日々が続くことはありません。第一章「利用規約を読もう」、第二章「役所で2時間待ち」…そんなものです。

 

しかし、それを地道に乗り越えてこられたからこそ、成功する人は成功しています。開始の段階から、どんなふうにニュースに取り上げられようか、または、どんな書籍を世に送り出そうか、どんな賞賛のコメントをもらえるだろうか、という部分に意識を向けすぎると、地道な一歩をそのもの以上につまらないものに感じることになるでしょう。

 

「ENTITLEMENT, CONTROL, AND PARANOIA」

 

続いては、「ENTITLEMENT, CONTROL, AND PARANOIA」というセクションです。

 

タイ・ワーナー(Ty Warner)という人物の話が紹介されています。ぬいぐるみの販売で財を成した人物です。日本ではどれくらい有名かわかりませんが、Beanie Babiesというぬいぐるみがあります。

 

公式サイトでは「90年代に全世界に大ブームを巻き起こした、Tyの代名詞ともいえる有名ライン」と説明されています。

 

個人的な印象では英語圏での知名度は圧倒的ですが、日本ではそこまでといったところでしょうか。いずにしても、これの販売により、膨大なお金が動いたことは間違いありません。

 

タイ・ワーナー氏のこんな言葉が紹介されています。

 

I could put the Ty heart on manure and they’d buy it!

 

肥料にタイハート(Tyの文字が書かれたハートマーク)をつければ売れるさ!

 

自信が感じられます。ただ、これが自信でとどまればよかったのですが。会社は結果的に大失敗を招くことになり、彼自身、刑務所にすら入っています。うぬぼれとも言える態度が、見て取れます。

 

ビジネスなどが一番わかりやすいのですが、こればっかりは間違いないという感覚が、経験と共に蓄積されていくものです。地位が上がるに応じて、それは強固なものになります。周りでそれを指摘してくれる人は、どんどん減るのですから、一大事です。

 

信念が凝り固まり、それとは異なる意見を持つ人が現れれば、それを破壊することに全力を投じる。それが常になってしまうのは恐ろしいものですが、それと同じくらいに「当人は気づきにくい」という怖さがあります。

 

最近では、論破を好む一定の層が見られます。また、マウントを取るという言葉で形容されるように、自分の立場を誇示しようとする態度も、珍しいものではありません。上記のタイ氏に通じる世界の見方を感じずにはいられません。ちなみに、論破の話についてですが、社会的に物事を改善するために、議論をすることは個人的にとても大事だと思っていますが、持論を押しつけ、それを守り抜くことが目的になるのは、全く別の次元です。

 

続いての「MANAGING YOURSELF」には、こんな面白い一説があります。

 

歳を取ったり、会社での地位が少し上がったり、部下を持つようになったり、会社を興したり。そんな時に、どのような意識を持つべきか。

 

It requires a certain humility to put aside some of the more enjoyable or satisfying parts of your previous job. It means accepting that others might be more qualified…

 

前役職の楽しさややりがいを捨て去るには、ある種の謙虚さが必要。他の人の方が優秀かもしれない…と受け入れるということ。

 

謙虚さに関係ある話であり、地位が上がる中でどのような意識を持つべきかという話でもあります。

 

ある時点で、多くの人が指示する、または決断を下す立場に移動します。そんな時に、以前の現場での汗を流すことの楽しさに別れを告げることができるか。どんな役割が求められているかを理解できるか。これが重要になります。

 

そして、自分よりも優れている誰かを認め、その人を信頼し、仕事を任せることにもなります。これができないと、全てを管理しようとして、いわゆるマイクロマネージメント型の組織になってしまうかもしれません。

 

本書では、意思決定をする立場になった時の話がされていますが、私としては、あらゆる人との関係に似たことが言えると思います。同僚に対しても「この人の○○な部分がすごい」という、ある種の尊敬の念を持つことが重要です。そこから多くを学べますし、職場に信頼関係を生み出すことにもつながります。信頼があってこそ、腹を割った意見の交換をすることも可能になるでしょう。

 

「BEWARE THE DISEASE OF ME」

 

次が「BEWARE THE DISEASE OF ME」です。General George Marshallという人物についての話があります。この人が、私欲を追求することに走らなかった人格者として紹介されています。

 

また、Pat Rileyという人についての話もあります。ロサンゼルス・レイカーズ、マイアミ・ヒートを率いたコーチ(名将)です。彼によると、チームは特定の変化を辿るようです。最初が無垢な状態。これでスタートを切ります。このステージは「Innocent Climb」だそうです。

 

あえて訳すとすれば、無邪気な状態で上昇する時期という意味です。

 

そして、勝利やメディアからの注目を手にすることで、チームに変化が。皆さんご存知、エゴの登場です。

 

次の段階へと突入するわけですが、その名前が「Disease of me」です。簡単に言えば、「オレオレ、わたしわたし」の状態でしょう。

 

わかりやすいのが「俺こそが最高のプレーヤーだ。あいつとプレーするつもりはない」という態度。

 

「MEDITATE ON THE IMMENSITY」

 

続いてが「MEDITATE ON THE IMMENSITY」というセクションです。

 

ここで語られているのが、cosmos(宇宙 ※語源:「秩序」や「宇宙」を意味するギリシャ語のkosmos)とのつながりです。何か大きなものとのつながり。これが重要であることが説かれています。

 

こんな一節があります。

 

Human things are an infinitesimal point in the immensity.

 

人間のあれこれは、無限の空間の中の微少な点である。

 

よくストレス解消には登山がいいと聞きます。自然の中に身を置くことで、あらゆる悩みが消えるということです。多くの人が「いかに自分がちっぽけな生き物であるか思い知らされる」のでしょう。

 

これこそが、自分よりも大きなものを感じることの意味です。

 

本書では「What is my role in this world?(この世界で自分ができることは?/自分の役割とは?)」という感覚についても触れられています。世界を感じ、その中で自分にどんな役割があるのか。それを考えることで、自己中心的になるのを回避できるはずです。

 

私個人の考えでは、「どんな役割を演じるか」ではなく、それをもう一歩先に進めて「どんな役割が求められているのか」を考えることも、大事なことだと思います。「生かされている」という感覚に近いもので、恩返しのために何かできるだろうか、と考えるのに似ています。

 

「MAINTAIN YOUR SOBRIETY」

 

続いてが「MAINTAIN YOUR SOBRIETY」です。「Sober」であれというセクションです。ちなみに日本語にすると、「しらふ、冷静、思慮深い」などです。簡単に言ってしまえば「酔っ払い」の反対です。

 

優れた例として、アンゲラ・メルケル首相の名前が挙げられています。多くの世界のリーダー(と呼ばれている)人々が、権力やエゴに酔う中でも、彼女は、冷静さを失わずに行動していると説明されています。

 

こんな逸話が続きます。メルケル首相が子供の頃の話です。水泳の授業にて。飛び込み台に立ったまま、何もすることなく…ひたすらに飛び込むべきかどうかを考え、そこに立ち続けました。そして、授業終了のチャイムが鳴ると、そのタイミングでジャンプ。

 

決して恐怖から足がすくんだ、または、不安から行動を思いとどまったわけではありません。ただただ、慎重に検討したのです。与えられた時間を目一杯に使い、最良の決断をするということに全力を投じました。

 

活力や勢いだけで成功を武器に成功を収める人がいる。そんな仮説を信じている人が、少なからずいるかもしれません。たしかに、エネルギー全開でことにあたるのは素晴らしいことです。しかしそこには、エゴという罠が潜んでいます。だからこそ、勢いの影に隠れたエゴに気づき、それを信奉しないようにすることが肝要です。

 

特にエゴは、長期的な成長や成功を阻むものです。一時的にのしあがるだけならば、表層的な、またはエゴに満ち溢れた気合いだけでも、それなりのところまではいけるかもしれません。しかし、それが重石にかわった途端、人はもうそれ以上進めなくなります。

 

そうならないための、冷静さ、思慮深さを兼ね備えた人物として、メルケル首相は好例なのかもしれません。

 

「FAILURE」

 

その次が「FAILURE」というセクションです。ここでは、文字通り失敗することについて議論が展開します。

 

失敗とエゴがどのように関係しているのか。そんな部分についてのお話です。簡単にまとめると、こうなります。失敗というのは、誰にでもつきものであり、全ての人が経験していくもの。

 

ここまでは「まあ、そうでしょうね」という反応になるはずです。誰もが納得できる自明の事実とでも言いましょうか。

 

そこから、さらに話が進みます。面白いのが、「それがもたらす結果が違う」ということです。誰の人生にでも障壁が現れる。しかし、それの性質(特に、そこから学ぶか)は人それぞれということです。

 

Failure and adversity are relative and unique to each of us.

 

失敗や逆境は相対的なものであり、一人ひとりに固有のもの。

 

壁にぶち当たった時に、どんな反応をするか。そこで違いが生まれます。そのような意味で、相対的だと言えるのでしょう。

 

いわゆる「不幸」があった時に、私たちがしがちな反応が「不公平だ、何で自分だけ」というものです。このような「自分だけが不平等な扱いを受けているのだ」とする考えについて、精神学的には「anarcissistic injury」という説明がされています。

 

言ってしまえば、ナルシストです。自分を可愛がりすぎているからこそ、そのような発想が出てくるということ。次に自分がそんな意識に陥りそうになったら「おい、ナルシストめ」と戒めてたりたいと思います。

 

また、「FAILURE」の最後にある一節をご紹介します。

 

Humble and strong people don’t have the same trouble with these troubles that egotists do.

 

謙虚で強い人は、エゴイストのような悩みを抱え込むことはない。

 

その後の言葉が特に重要です。エゴに支配されない、謙虚な人は、問題に直面した際であっても、どのような態度を取るのか。

 

They can get by without constant validation.

 

(謙虚な人は)承認されなくとも、やっていける。

 

これは、計り知れないほど大きな強みです。なにせ、他人から承認されずとも、ただ目の前の問題に対処して、一歩一歩進んでいくことができるのですから。

 

私の個人的な印象になりますが、エゴを抱えながらも、社会的に「成功」と言われるようなものを手にした人に多く見られがちな傾向があります。それが、承認欲求の強さです。自らの内側で善し悪しの判断をするのではなく、外的なものにすがるパターンです。

 

例えば、フォロワー数、給料、成約件数、いいね数….などなど。決して、これが悪いわけではなく、一つの指標として、行動の目標に使う分には大いにありだと思います。しかし、これが唯一の物差しになってしまうと、外部からの承認に依存することになってしまうかもしれません。

 

謙虚な人は、自己の中に物差しを持つことができます。例えば「昨日の自分を超える」といった価値感です。「人に優しく」という価値感もあるかもしれません。できるだけ、内側に価値感を抱き寄せるという考え方を、私個人は日頃から意識するようにしています。

 

「ALIVE TIME OR DEAD TIME」

 

次のセクションが「ALIVE TIME OR DEAD TIME」です。こちらも非常に耳の痛くなる話です。私だけでなく、多くの人が同じような思いをするはずです。

 

ここでまずは、マルコムXという人の話が出てきます。海外では(日本でも?)有名です。個人的には、日本ではあまり知られていない人なのかなと思っています。私は実際、英語のソースからはじめて知りました。

 

この人は、若い頃から売春の斡旋に関与したり、薬をやったり、強盗をしたりしました。そして、当然のごとく、刑務所に送られます。

 

7年の服役です。そのとき彼は、若干20歳でした。

 

ここで彼は、セクションのタイトルにもなっている「ALIVE TIME OR DEAD TIME」に直面することになります。直訳すると「生の時間か死の時間か」となりますが、つまりは、時間を生かすも殺すも自分次第ということです。

 

刑務所での、途方もない懲役期間。それを突きつけられることで、彼は、時間と向き合うことができたということです。

 

結果、マルコムXは、この時間を使って学ぶことにしました。「自由時間は、図書館で本を読むか、監房で本を読むか」どちらかだったそうです。それくらいにのめり込んだのです。

 

そして、今マルコムXと言えば、1900年代前半から中盤にかけて、歴史を揺るがすほどの足跡を残した、アフリカ系アメリカ人の急進的黒人解放運動指導者として知られています。

 

この例からは多くを感じます。時間を生きたものにできているかどうか。これを常日頃から自分に問いかけることが重要です。

 

また特筆すべき点として、時間の質は環境に依存しないこともわかります。マルコムXは刑務所での10年近い生活という、おおよそ誰にとっても「最悪」な事態であっても、その時間を自分のものにしました。

 

このような意味で、時間の主導権を握ることが、時間を生かす上で欠かせない要素となりそうです。

 

本書の中では「The dead time was when we were controlled by ego」と書かれています。エゴに支配された時間は、死の時間。

 

「EFFORT IS ENOUGH」

 

続いては「EFFORT IS ENOUGH」のセクションです。

 

ある意味で、救いの言葉。特に私にとっては、許しの言葉のようにも思えます。あなたはどうでしょうか。どれだけ頑張っても「自分なんか、まだまだ」と考え、落ち込んでしまうことはありませんか?

 

過去の苦い経験が原因であることも、環境によって自信を失っていることもあるでしょう。いずれにしても、このセクションで説明されている概念が、重荷を下ろす癒しの力になるはずです。

 

「EFFORT IS ENOUGH」を日本語にすると、「努力すれば十分」です。そう、努力さえすればそれでいいということです。

 

この考えは是非とも読むだけでなく、理解するだけでもなく、体に染み込ませることをおすすめします。

 

書籍内では、こんな説明が続きます。何をしようとも、どれだけうまくやろうとも、その結果が、思っていたとおりのものにならないことがあります。いわゆる失敗です。評価されなかったり、人から反感を買ったり。なんでも起こり得ます。どれだけうまくやろうともです。

 

そんな反応がもたらされた時に、エゴのあるなし、またはその程度によって、人は破滅することも、全く傷つかないこともあります。

 

エゴに先導された生き方では、「私の努力を認めること、賞賛のみをよしとする」という考えになってしまいます。

 

つまり、他者に100%身を委ねて、相手や周りの反応次第では、いかにでも自分の感情が揺さぶられる状態。私はこれを弱さだと思っています。

 

本セクションにこんな一節があります。

 

Will we invest time and energy even if an outcome is not guaranteed? With the right motives, we’re willing to proceed. With ego, we’re not.

 

結果が保証されなくとも、時間とエネルギーを投資するかどうか。正しい動機があれば、私たちは進んで行動することができる。エゴがあると、そうはいかない。

 

そういうことです。結果で一喜一憂することは、人間である以上、ある意味で普通であり、正常かもしれません。しかし、これが度を超えた「依存」になるのは厄介です。結果に没頭しすぎると、自然と行動がある方程式に従ったものになるのではないか、と私は思っています。

 

結果を求め、それがもらえる時にだけ頑張る。

 

そんな思考回路です。もらえない時には、落ちこんだり、いじけたり、へこんだり。いや、エゴが強く、地位もそれなりに高いものになると、怒りをぶちまける方が多いかもしれません。

 

「DRAW THE LINE」

 

続いては「DRAW THE LINE」という章をご紹介します。こちらもまた、私が特に感銘を受けたセクションです。

 

「DRAW THE LINE」を日本語訳すると、「線を引く」ということ。線引きをする、という言葉が日本語にありますが、それに非常に近い概念です。

 

エゴに関連して、どこにどんな線を引くのが有効なのか、考えてみましょう。

 

まずは、こちらの一節をご紹介します。

 

The problem is that when we get our identity tied up in our work, we worry that any kind of failure will then say something bad about us as a person.

 

問題はこうだ。自分のアイデンティティを仕事に結びつけてしまうと、何か失敗したときに、自分のことを悪く言われるのではないかと心配になってしまう。

 

そこで、線引きが効果を発揮します。是非とも、自らのアイデンティティの縁に線を引きましょう。自分は自分でしかなく、仕事があなたの一部なる必要はありません。

 

興味深いことに、この現象は、仕事を愛する人やのめり込んだ人にだけ起きるわけではありません。どんな人のもとにも姿を表します。

 

絵を描いたり、歌を歌ったり、資料を作ったり、料理をしたり。何をしても、自分の作品、自分がつくりあげた何かという意識が宿るものです。それ自体は自然なことです。何も悪いことはありません。

 

しかし、それが一定の境界を過ぎると、ただ単に自分の作り上げたものを守ることが第一優先になってしまいます。自分自身を守るのと同じように。

 

そして、少しでも「100点」でない評価があると、自分を否定されているような気になり、防御に全力を投じることに。

 

リアクションには様々なものがあります。

 

泣いたり、すねたりする人もいるでしょうし、怒る人もいます。他者を否定することで、自分の正当性を保とうとするのも、自分を責めてその場をしのごうとするのも、結局は同じことで、どちらもエゴがなせる技でしょう。

 

Shunya Ohira

哲学、心理学、意識などの本を、英語、日本語で読み学んでいます。

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